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珍事件手記 第18話 張込

張込み珍事件

いつものように、電話のベルが、けたたましく鳴り響いた。

今回の依頼者は、片言の英語で話している。

私は、英語で「何処のお国の方ですか?」と訊ねると「タイ」との答えが返って来た。

私は、タイ語を少し話せるので、母国語で話をするように伝えた。

依頼内容は次の如くであった。

「依頼者の娘は、1年程前に観光ビザにて友人数人と共に日本へ渡った。

3ヶ月でタイに帰国する筈であったのだが、1年経った今でも連絡一つ無いので、タイ国内の出入国管理局にて調べてもらったところ、女性の友人3名とタイの男性1名の5名にて航空券を購入して日本へ渡航した事実が判明したが、同行していたタイ人男性は、人身売買をしている噂があり、娘を探して欲しい。」との依頼である。

私は、依頼者に娘さんと友人達及び、同行したタイ人男性の写真と詳細を郵送して貰うようにした。

私は、日本のタイ国領事館へ赴き、5名がビザの延長申請をしていないか聞込みを行なったところ、娘と友人はビザが既に切れており、不法滞在扱いとなっていたが、男性は就業ビザを持っており、その期限が近日中であることが判明した。

男性の届出就業先を調べたが、ビザを収得するだけのトンネル会社であった。

こうなれば、男性が領事館にビザの延長手続きに来るところを捕まえるしかない。

しかし、領事館での張込は非常に困難である。

付近にて暫く立っているだけで、警備員が声を掛けてくる。

私は、朝からスケッチブックを所持して領事館前にて座り込み、写生を装い張込を開始した。

張込2日目の朝、クルリと大きな目を持つ領事館の若い女性職員が出社途中にパンと缶コーヒーを私に手渡してくれた。

どうやら、その女性は私の事を「路行く人の似顔絵描きで生計を立てている人物」と思っている様子である。

張込3日目の朝、その女性職員は出社途上、またしてもタイ料理「ムーステ」と云う豚肉の串焼きを手渡してくれた。

私が女性職員と話をする姿を見て、警備員も気を許しているようで、私に関する警戒は回避された。

張込4日目、マル被の姿はまだ現われない。

この頃になると、警備員とも気さくに話が出来るようになり、仕事柄得た似顔絵の特技にて、描写画を1枚描いてあげた。

女性職員は、私の事を哀れと思い、毎日の如く朝と昼に食事を差し入れしてくれる。

張込8日目、やっとマル被が現われた。

ビザの更新手続きを済ましたマル被を尾行し、オートロック式のマンション一室に入室したのを確認した。

暫くすると、同室から女性8名と共に、マル被が出、迎えに来たワゴン車に乗車した。

女性4名の人相は、依頼者の娘と友人に間違いない。

ワゴン車は、繁華街のはずれに所在する風俗店前に停車し、女性を店内に入れた。

朝方、同風俗店前に、再度ワゴン車が現われ、女性達を乗せてマンションに戻った。

女性達は、常に監視されている様子で、マンションのドアも外から鍵が掛けられている。

私は、警察と出入国管理局に状況を説明し、合同でマンションと風俗店の「ガサ」を行ない、依頼者の娘と友人3名、その他4名の合計8名を保護し、それぞれ母国に無事送還した。

後の調べで、このマンション以外にも数箇所の女性監禁場所と風俗店が判明し、総勢数十名の外国籍女性が保護された。

この事件で私が得たものは、警察と管理局からの感謝状、そして、親切にしてくれた領事館の女性職員の真心。

その女性職員は、その後日本人と結婚し、子宝にも恵まれております。

結婚後も、暫くの間は、自分が結婚した夫の職業は「路行く人の似顔絵描き」と思っていたそうです。

 タイ王国領事館日本支部 元女性職員の目です。